2020-02-25 第201回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第1号
○小泉国務大臣 そのプリズンドッグ、私も前、ある記事を見て、あれは海外でしたかね、屈強な囚人たちが、男たちが、物すごくきらきらした笑顔でそのプリズンドッグと戯れているという、牢屋の中の写真を、記事を見たときに、ああ、すてきな取組だなと思いました。
○小泉国務大臣 そのプリズンドッグ、私も前、ある記事を見て、あれは海外でしたかね、屈強な囚人たちが、男たちが、物すごくきらきらした笑顔でそのプリズンドッグと戯れているという、牢屋の中の写真を、記事を見たときに、ああ、すてきな取組だなと思いました。
そして、彼の布団は、やはりアメリカ大使館の方が交渉して、まだ布団がない囚人たちにひとしく布団が回ったときにやっともらえた。何ですか、これは。これが邦人保護と言えるんですか。 こうした態度で、状態で、邦人保護はきちんとなされたと思いますか。外務大臣、一回お答えください。
そこから、忘れられた囚人たちという意見広告をロンドンの日曜新聞のオブザーバーに出します。今、掲げているものがそのコピーです。 その中に、自分の意見だけを理由に捕らえられた人の釈放のために運動しようとか、公正な裁判を求めようとか、政治的な難民の権利を拡大しようとかという目的が記されています。一九六一年五月二十八日でした。
それから、日本の刑務所に受刑中の囚人たちに会って、外国の囚人たちに会って話を聞いたことがあります。彼らは、いや、率直に言うとここは天国ですよと。東南アジアとかブラジルとか来た人たちですけれども、アメリカ人でない。いや、食事もおいしいです、大変腹一杯食べていますよと。
これも、十九世紀のベンサムというイギリスの功利主義者が考えた効率的な監獄監視システム、つまり、いつ見られているかわからないというふうに思うので囚人たちがびしっとするというシステムの基本的な応用編であるというふうに考えられています。 軍隊は、戦いに勝つためにこういう規律が必要です。監獄あるいは刑務所は、社会的更生のためにこういう規律が必要です。
根拠があるのかないのか、やはり週刊誌でおもしろ半分に書くという点もあるからどうかと思いますけれども、物の片りんを知るために、多少事のきっかけ、議論のきっかけになると思うのですが、山科の京都刑務所の中の懲役刑の囚人たちに対する管理という問題をめぐって、右翼団体が何回もやってきて大きくボリュームを上げて中のことを再三にわたって文句を言うというような事件が、今も続いているのかどうか知りませんけれども、三月
それから、私が読みました限りでは、この時期はちょうどあの死亡事件がありましてから内部で全然囚人たちに対して明らかな説明がなされてないわけですね。そして局長もおっしゃったとおりに風評だけが死んだ人と同じ房にいた人やなんかから来ている。そうすると、同じそこの刑務所にいる人が不安になるのは当たり前だと私は思うんです、原因がわからなくて、どうも死んだらしい死んだらしいという話が起こりましたら。
たとえば囚人たちを働かせる作業場にまる腰でいて監督をしているわけでありますから、まさにハイジャックがいつでもできる状況の中にいるわけです。だからといってピストルを持っていったら、逆に向こうに取られてしまうから、まさにまる腰で行かなければならない、こういう状況です。私も初めて行ってみてわかったのでありますが、当然のことなんでしょうけれども、刑務所があって、へいがあって、そこに就役している。
しかもそれらの囚人たちは、松山市において、これまた日本においてたいへんな問題となりました暴力団の事案である。われわれが委員会において、あれほど暴力事件について徹底的な追及をいたしておりますやさきであるだけに、何たることかということを痛感をされるのであります。
この囚人たちで、幾らかの金を持って刑務所に入ってくる人がいると思うのです。全国的にこれを通算しますと、相当の額になると思うのでありますが、一体その持って入った人のお金というものはどんなふうに処理され、それらの預金はどういうふうにされておるものか、あるいはまたこれに対する利息などは囚人に対して支払いをするものか、しないものか、参考までに伺っておきます。
労働はもちろんのこと囚人に課せられたる絶対的な義務でありまして、労働することによって初めて囚人たちに生きていくための諸生活条件が与えられるのであります。収容所は、その収容所に附属している作業現場その他によって差異はありますが、平均約七、八百名内外であります。ブリガーダー、すなわち班によって編成されており、その班が労働における、また寝食等すべで生活そのものの単位となっております。
獄吏は、かくてはいたし方なく、一時解放するにより、めいめいいずこなりとも逃げ延びよと囚人たちを解放した。囚人たちのうち若干は農民軍に混入し、囚人中よわ指揮者数名を出した云々と、当時の記録は残しておるのである。 徳川時代の農奴さながらに搾取と屈辱を受けた農民は、百姓一撲から、あの大正、昭和の小作争議へと、農民闘争の歴史を、彼らの血でつづりたのであります。
特に法務府の刑務所は、刑務所の囚人たちを使つてやる場合があります。特に日本の産業の状態では、刑務所というような安い賃金を使つてどんどんやられたのではたまらないというので、こういうものに反対しておるわけであります。
私はこんなことは言いにくいのですが、私の入つていた堺市の大阪刑務所におきましても、食わすべき食糧も食わさないで、そこの囚人たちが、出てから仕返しをしてやると言つて怒つて出たことは事実です。あれは戰争が終りましてもそういうことはありがちだつたと思う。ところがそれは遺憾であることは事実です。
その間を自由に歩いておる囚人たちの手に入る。それは金も手に入るらしい。いろいろな物が手に入る。看守は見て見ぬ振りをしておるというようなことがあり得るように思います。 それからこれは戰時中に受刑者を造船所へ使つたり何かいたしまして、その囚人の中の主だつ者に見張りをさしたり何かしておつたことからも影響が來ておるのだろうと思ひますけれどもそういう班長とか何とかいう連中を警備補助に使つた。